『始末』を辞書で引くと・・・
①物事の始めと終り。始めから終りまでの物事の細かい事情。いきさつ。顛末。
②ある物事の最終的な状況。特に、良くない結果。
などとなっている。
今日、行きつけの定食屋に置いてあった新聞で、徳田議員の辞職が報じられていた。
姉の公判が迫り、議員の辞職までしたのだから寛大な処断を求める、というタイミングでも考えたのか、と思われるが、時期が遅すぎるように思う。
司直の手が入る、いわゆる強制捜査が入った時点で、辞職するべきだったのではなかろうか。
始末が悪い。
父君が難病に伏している徳田氏は、離島の医療に一年発起して徳之島に多くの病院を作った。
また、日本医師会と厚生省の厚い壁に挑んで国会に挑戦し、自民党に入党するもたった3日間で離党させられている。
日本の既得権益の恐ろしい実態に挑んだだけでも評価に値すると私は陰ながら理解している部分もある。
政治のことは良く分からないが、医療の充実に努力したことは高い評価があってしかるべきだ。
単に治療だけでなく、機械設備も新規のものを積極的に導入し、地域医療を支えていると理解している。
しかし、父親としては、バカ息子を育ててしまったものだ。
猪瀬氏の5千万円問題は、法律の判断を待つとして、女性問題でトラブルを起こすなど、倫理観に問題があるし、司直の手が入ってから、ほとんどすべての委員会や国会を欠席し続けていたのだから、国会議員として機能せず、自分自身の保身しか考えていない言動は、せめてさっさと辞めて、後始末を綺麗にするべきだったのではなかろうか。
そんなことを考えながら、帰路に就くと、近所の大変高齢のおばあちゃまが出されているゴミ袋には、内側に新聞紙が丁寧に広げられ、カラスも中身が見えないから、一切突ついていないし、綺麗に始末されている。
始末が良い、という概念には、みっともないことはできない、という美的な精神構造があるように思われる。
美徳というヤツかもしれない。
何しろ、自分には足りない世界なので、推察して終わってしまうのが情けない限りだ。