近所の『赤札地蔵』(東覚寺)と言われているお寺に多くの参拝者が来ている。

信者の体の悪い所と同じ位置に相当するお地蔵様の一部に赤い紙を貼ることで、平癒することを願うという祈願。

そんな風習に多くの信者が詣でるのである。

ネットで検索すると、誰が言ったか、パワースポットなる話も表記されている。

その影響かも知れない。

 

一方、そこから数百メートルの神社には、ほとんど参拝客がない。

その神社の隣には、正岡子規の墓所がある大龍寺という寺もある。

隣同士だ。

ちょっと気になって調べてみると、この周辺だけでも、10箇所の寺社があった。

件数だけで言えば、まるでコンビニエンス・ストアのように多いような気がする。

現実的に件数では、コンビニ以上、美容室以下ぐらいであろうか。

 

日本人は、八百万(やおよろず)の神を信仰するため、多くの寺社の存在や維持が可能だったのかも知れない。

キリストやアラーを信仰する人々からすれば、何ともいい加減な信仰である。

妊娠すれば水天宮から始まり、神社で七五三を祝い、神社に初詣し、結婚式では牧師の前で誓い、葬式は仏式で坊さんの御経。

こんな国民、外国には、そんなにはいない。

信徒の多くは、墓所などに参拝に通い、ついでに墓所内の枯葉などを掃除して、寺社に通うことが当り前のような時代もあった。

ご住職の説法に耳を傾け、有り難く拝聴した時代があった。

江戸時代の『寺請制度』以来、長年にわたって寺社に寄付するという喜捨が経済的繋がりの原点だったと思慮する。

 

ところが、葬式が稼ぎ場となり、戒名料で数十万円から数百万円などという請求がなされたり、毎月の施餓鬼会なるイベントなど、どうも寺社と信徒の接点が希薄になってきていて、セレモニー坊主の言動を檀家が尊敬の対象としなくなってきているように推察される。

経済的な繋がり、喜捨、お布施、などの寄付行為で寺社の運営が成り立っていた時代、このころのご住職や神主様などと市民とは、どのような関係だったのであろうか。

地域の精神の支柱となって、民衆の倫理観や価値観など、社会教育の一隅を照らすような神主様やご住職様が増えてくれることを願わずにはいられない。

冠婚葬祭やイベント以外に、お寺に行くことが日常の中にないのは、高学歴化が原因だろうか。

非正規雇用で行っているヒマもないのか・・・?