先般、大雪が降った。
山梨県では死者まで出たり、道路が通行不能になったりして孤立状態の所があったそうだ。
その時に、安倍首相が赤阪の高級天麩羅店において支持者と会食していたということを前衆議院議員の三宅氏や湯川れい子氏などが批判している。
彼らは、高級店だから批判しているのではなかろうか。
神田や新橋などの大衆食堂だったら、文句を言うだろうか。
三宅氏が言うように、せめて官邸で弁当に出来ないのか、というが、弁当なら良いのであろうか。
質素・贅沢の問題なのか、と問いたくなる。
現場の市役所の防災課長なら、食事を取るのも忘れて仕事しても不思議ではないかも知れない。
県知事だったら、出張から戻ることもあり得るかもしれない。
なぜなら、山梨全県に影響があると考えられる問題だから。エリアの問題だからである。
また、被災者の数によっても問題は異なると考えられる。
例えば、東日本大震災であれば、国家的な大問題であり、エリアの知事クラスの問題ではなく、国家的大問題として対応しなければならない。
数千人の命、数万人の暮らしに影響すれば、最高指導者たる首相の挙動も問題になる。
人の命が数という数字で重さを計ろうと言うのではない。
大切な命に数の論理は不適切だと考えるのも理解できるが、死刑囚などの判例は、数が問題になっているのも事実である。
今年に入って、都内では184人の人々が交通事故によって亡くなっている。
そんな被害者の遺族と会っているのなら、認められるのであろうか。
首相は町内会の会長ではないし、防災課長でもない。
支持者と会食していたというその相手が中国の人だったら、歓迎されるのであろうか。
韓国大統領と天麩羅なら良いのであろうか。
何でも噛みつく人々の言動が少々理解し難い。
民主党政権の頃の管さんは、福島原発にすぐに飛んで行って、顰蹙ものだった。
これも善し悪しだ。
いずれにしても、天ぷらを食べていようが、何をしていようが、天下国家を大局的に捉えて、国民の為に努力していれば、多少の問題は目くじらを立てることはないのではなかろうか。
批判するなら、もっと本質的に外交問題だったり、経済問題だったり、老人問題だったり、いろいろとあるのではなかろうか。