ネズミ駆除をあるアパートの家主様からご依頼頂いた。
その依頼された内容の中に、「業者の立場からアパートの住民に対して文章を配布するので、その文書作成費用も見積もって欲しい。」という内容があった。

私は 「どんな文章を書けば良いのですか。」とお尋ねした。
家主様曰く、 「今回のネズミの侵入は、下水を管理する○○市に半分の責任がある。そして、建物の構造や情況として家主には何らの責任がない。という内容です。」というのである。

私は、すぐに私の考え方として、○○市の下水の行政には、過失はありませんよ。
日本全国のいずれの下水配管の設備としての問題、維持管理の問題、などハード面もソフト面も、いずれにおいても落ち度はないと思いますよ。ですから、責任があるという家主様のご判断は、いかがなものでしょうか。と疑問は投げ掛けておいた。

最近の傾向だろうけれど、誰の責任なのか。自分には管理責任がないとか、支払い義務は誰か、などという問題になってしまう。権利義務関係にとてもシビアな時代になったような気がする。
家主様がシビアなのではなく、時代がシビアになったのであって、シビアに対応していないと、生きていけないのであろうか。

私には、申し訳ないけれども、掘り下げていない。問題の本質を捉えていない。そんなふうに聞こえてしまうことが少なくない。
下水からネズミが侵入するのは、○○市の下水道管理が悪いのではなく、ネズミが悪いのである。もし、○○市の下水道管理に問題があるとすれば、何が問題なのか、突き詰めていない。もし、ネズミの侵入に市の責任が問われたら、日本中の裁判所は忙しくなる。
自分の敷地内の排水系統の図面もなく、事実関係も確認されず、問題の本質を掘り下げることなく、すぐに○○市に半分の責任がある、と裁判官のように過失割合まで決め付けてしまうのであろうか。日本中の判例を調べるとか、構造を考えるとか、もう少し問題の取り組み方を変えても良いのではなかろうか。
すぐに考え、文書を配布してしまうことは、家主様にとって不利を招くと思えてならない。