最近の若い社員を見ていると、短絡的になっている。
<考える>という過程があまりにも少ない。
怒られたり、注意されたり、否定されたりすると、すぐに感情的になり、「キレる」というような化学反応にも似た単純な反応を示す。
怒られたり、注意されたり、否定されたりすることは、その人間を育てようとする熱意がなかったら、注意されることもない、否定もされない。
注意してもらえること。怒ってもらえること。否定してもらえること。に感謝する視点はゼロである。
分からないことがあれば、何でも聞いて、と言うと、本当に聞いてくるが、聞く前に本人は何も考えずに聞いてくる。
だから、覚えも悪い。
考えて、悩んで、それでも分からなくて聞いてくる青年は、伸びるのが早い。
注意しても、否定しても、「あっそうか。」と理解する。
自分の非を猛省することなく、単純に頭に来て、キレるという言葉は好きではないが、カッと感情的になる。
注意してくれる人の長年のキャリアとか、卓越したものなど、背景を比較すれば、自分が至らないことは明白であるにも関わらず、同等の立場のように誤解して、すぐスイッチが入り、キレてしまう。
相手を畏れるとか、自分の至らなさを考えるとか、思考に深さが感じられない人が多いのが残念。