弊社の現場における労働時間は、できるだけ短く設定している。「さっき来たかと思うと、もう帰ってしまった。」とお客様からの苦情を受け付けることも少なくない。
これには、理由がある。ひとつはネズミ側に起因する理由だ。ネズミは、忌新性と言って、新しい物を避けて通る。だから、長時間にわたって色々のことをやったり、仕掛けたりしても、ネズミの警戒心を煽ってしまって効率が悪くなる。と言っても多分、分からない。同業者でも理解していない人が多い。
簡単に言えば、ネズミに気がつかれない程度のことをちょっとやって、サッと逃げるように帰るというのが理想に近いと考えている。
ところが、お金を支払うお客様の側は、手抜き工事だとか、やる気のない業者というように見えてしまう。また、同業他社の場合には、高速代を支払ったり、人件費の高い時代に移動ばかりで経費がかさんで意味がないから、折角現場に行ったら出来る限りの仕事をしてこい、ということになるらしい。お客様にしても同業他社様にしても、どちらも人間様の都合と考え方のように思われる。
弊社は、経費が掛かっても、移動ばかりで効率が悪くても、ネズミにとってベストなら、それで良いという考え方。
実は、この短時間労働の方法、従業員の集中力の限界とも関係している。弊社の現地調査だけでもご欄になられるとお分かり頂けると思うが、同業他社とは明らかに違う。何が違うかと言えば、すべては集中力に起因しているのだ。単位時間当たりの濃密さが命だ。労働成果が時間に比例するような製造業であれば、マラソンの持久力のように頑張れば良いが、我々の仕事は根本的に違う。
先般、木彫で人間国宝になっておられる方とお話しする機会を得た。その時に伺った話だが、仕事の正否は彫刻刀で彫るという作業の前で決まってしまうというのである。理解できなくて喰い下がって聞いてみると、彫刻刀を研ぐ時間の方が、掘る時間より長く、この時間で仕事は決まってしまうと言うのだ。
何とも、理解し難いが、それほどの完全な準備をして、短い作業時間で集中するため、刃物は徹底して研いでおくことが必要条件のようだ。心を静めてひたすら丹念に研ぐ。心静かに集中させるための儀式だそうだ。研ぐという作業が、仕事へのプロローグというのである。
一瞬でも掘り間違うと、すべての仕事はパーになってしまう。恐ろしい集中力が求められるのであろう。弊社の仕事は、その点楽なものだと思ってしまうけれど、集中力に欠けた仕事は、結果的に不完全な仕事になってしまう。
昔の大工さんは、2時間を限度としている。8時に開始して10時にはお茶の時間。12時はお昼ごはんの時間。午後始まっかと思うと、3時にはおやつの時間という具合である。材木を刻んだり、細かい細工をしたら、このように2時間が限界に近い。
ところが最近の現場は労働時間とか、残業とか、人間の小賢しいルールによって、生産性を重視するから、ノミで掘ることもせず、舞台装置を作る時に使う釘を機関銃のような機械でたくさん打ち込むような仕事が増えている。
ブレカット工法と言って、工場で材料を刻むようになっていて、現場は打ち付けたり、組むだけである。
ネズミにプレカットはない。戦術を組み上げて、経過観察を繰り返し、ネズミの動きを理解しないことには、完全駆除はない。