高齢者のご夫婦だけで生活されているお宅に伺った時、ペットボトルがサカサマに吊るされていて、キャップに3つの穴が開けられているものを見つけた。

仕事柄、エサでも入れて近隣の鳥に与えているのか、それらのエサをネズミが狙って集まってくるのかなど、何かに付けてネズミが・・と連想してしまう。人を見れば泥棒かと思ってしまうお巡りさんと似ている。

「これは何ですか。」と聞いてみたら、「水を入れて手を洗うんだよね。」とおっしゃる。手洗い用の水のためだった。どうしてか不思議に思っていると、説明して下さった。

「何でもそうだけど、限られたもの、少ないもの、と思えば節約するし、無駄遣いもしない。だけど、使い放題だと思えば、節約しなくなる。」確かにおっしゃる通りだ。

「水も大したことないけど、手を洗うのに、3つの穴から出てくる量で丁度良い。その上、上から入れる水も雨水を溜めて置いたもの。供給量を減らし、出るのも成約すれば、丁度良いというレベルになる。」とのことでした。

供給量を少なくすれば、優先順位を付けた、無駄を徹底カットしたり、有効なことは良く分かるけれど、使う量を制約する発想は小生は持っていなかった。この話を帰宅後に家内にしたところ途端に、「お小遣いは使用量を制限していないようだから、供給をもっと減らしましょうか。」だって、何とも通じない話になってしまった。