先般、あるお客様のお宅に伺った際、殺鼠剤を交換させて頂いたら、「何も食べていないのに<もう>取り替えるのですか。<まだ>使えそうなのに、もったいない。」と言われてしまいました。しかし、次にお伺いするまでの約1ヶ月の間、そのまま使用し続ければカビが発生してしまい、ネズミ達は食べなくなってしまう可能性が高いのです。だから、弊社の担当者は交換したわけです。カビが発生してからでは遅いし、前兆の段階では目に見えない。

似たような話であるが、先日16万キロの段階で会社の車が車検になった。修理屋さん曰く、「お宅の会社は、全部の車両が25万キロぐらい乗って廃車になっているから、このあたりでショックアブソーバーを交換しておくと良い。」と言われた。
素人だし、ショックアブソーバーの寿命も知らないし、運転していて不都合も感じないし、<まだ><まだ>問題なく使用できると考えていたし、予算もないし即答は避け、「取り敢えず、安く車検を上げてください。」ということになった。
その日の午後、たまたま個人タクシーに乗ることがあり、早速聞いてみた。「運転手さんは、ショックアブソーバーを交換するのは、いつですか。」すると、「私の車は、30万キロ走って廃車するので、10万キロごとに交換し、10万キロ前後で、20万キロで2回目の交換をして廃車になるね。」とのこと、驚いて、「10万キロだったら、<まだ・まだ>使えるでしょう。」と聞き返すと、「<もう>限界だよね。交換すると分かるけど、ぜんぜん違うよね。プロのレーサーの人なんか、2万キロで交換するらしいよ。」と教えられた。

素人の考える<まだ>は、プロの認識する<もう>、という限界を超えていることもあるようだ。

床屋のオヤジさん相手に、そんな話をしてみたら、「私も、毎回カミソリの刃を研がないと、気がすまない人間だったけど、最近じゃ使い捨てなんだょ。<まだ>使えるかな、と思いながらも、<もう>交換している、そんな感じだけど、やっぱり交換すると、切れが違うよね。」とのことだった。

左隣の席で散髪していた、大工さんも話しに加わり、「そうなんだよね。私たちの世界では、ノコギリの刃も交換する、使い捨ての時代になってしまったね。」目立てすれば、<まだ・まだ>使えそうなのに、人件費の関係から、<もう>交換するのか、ということになるらしい。

切れ味と聞いて、帰宅後に髭剃りの刃を交換してみたら、驚くほど違ったのには、自分が合理性のない倹約家=ケチだということに気が付いた。