自民党の若手議員による勉強会「文化芸術懇話会」で、沖縄の地元紙をはじめ報道機関に圧力を求める発言が出た問題で、同党は6月27日、会の代表を務める木原稔・党青年局長を更迭する方針を固めた。

世論の批判が強く、安全保障関連法案の審議への影響を懸念し、早期に事態収拾を図る必要があると判断した模様だ。

 

この報道を聞いて驚いた。

ヨーロッパなどでは考えられないと思ったからである。

極左新聞があったり、極右新聞が戦ったり、それこそ言論の殴り合いのような様相であり、言論の自由が保障されている。

 

沖縄県の地元紙は、天下の自民党が困ったものだ、というぐらいなのだから喜ぶべき事案であり、中央政界にもその存在が認められたと解釈するべきではなかろか。

報道機関の自由な活動は、言論の自由を保障する視点から、大切なことであることは重々承知している。

だからこそ、自由闊達な意見は結構なことではなかろうか。

自民党としては、沖縄県の地元紙を困ったものだと考えている。と意見しても、多少表現が加熱して、ぶっ潰せと言っても、政治の世界のエネルギーとしては当然のぶつかりあいである。

 

日本のマスコミは、壊れてしまっていないだろうか。

言論の自由を間違っていないだろうか。

ある意味の報道機関が言論の自由の上に胡坐をかいて、立場だけを保全しようとしていないだろうか。

みんなが同じ論調でないと、言論の弾圧だと叫ぶのは稚拙に感じられる。

このような体質があるから、従軍慰安婦問題の朝日新聞のように、後になって謝罪する始末ではなかろうか。

サリン事件においても、みんなが犯人ではない人を犯人扱いして報道してしまったではないか。

 

報道機関そのものに、右があっても、左があっても良いではないか。

相手側を困ったものだと批判して何が悪いのか、私には理解できない。