最近の新入社員を教育するのに、困っていることがある。
「何をすれば良いのですか。」
「どうすれば良いのですか。」
「どうして、こういうことをするのですか。」
「次は何をするのですか。」
いずれもマニュアルで育った世代であろうか。ひとつずつ、手順として教えると暗記する。○○○だから、□□□する。などと教えれば、理解もするし、暗記する。
しかし、それ以上がない。言われたことしかできない。言われたことも深意は理解できていない。ハウツウという表面だけで終わってしまう。
このような教育方法では、感性が育たない。
弊社のベテランクラスになると、昨日ネズミが走るのを見掛けた、という現場に行っても、気配がない。として当該空間からネズミが退出してしまっていることが察知できる。
ひとつずつ、足跡を探したり、フンを見つけたりするのではなく、何となく感性で察知してしまうのである。そして、その能力は、ほぼ常に正解であり、ミスがない。
新入社員は、「なぜ、居ないと分かるんですか。」と聞いてくる。しかし、説明のしようがない。何しろ感性だから、そう思ったという以外に説明がない。研ぎ澄まされた、考え抜いて仕事をしてきた人間にだけ許される、感性という免許皆伝である。
例えば、マニュアルで育った人間は、ノギスで厚さを測るけれど、我々は指先でミクロン単位の感覚を持っている。千円札の厚さが40ミクロンであるが、10ミクロンの差は、簡単に認識できる。一般のノギスでは、測れないのである。
ノギスで測れる範囲は、バカでも努力しない人間でも測ることができるが、指先でミクロンを認識するのに、それなりのまじめな経験値が必要不可欠である。
ある和食の板前さんに聞いたことがあるが、1グラム単位の塩を指先で計測することができるというのである。実際に、秤を置いて試してもらったことがあるが、本当に誤差がなかった。目を閉じてやっても、指先に感性がある。指先に目がある。
一人前に育てようとすると、そんなんじゃだめ、こんなんじゃだめ、と否定する結果となる。それもこれも感性を育てるためには、本人の認識を変えさせなければならないからだ。
ところが、ほめて育てられたマニュアルタイプの新世代には、感性が育たない傾向が強い。
盗んで覚えろ、という職人の世界は、古いようだが、最も合理的に匠のレベルに達する近道なのかもしれない。職人の頑固さや思い上がりも嫌いな面はあるが、研鑚し抜いた者に許される、揺ぎ無い自信や確信がそうさせるのであろうか。