最近、年齢が年齢のためか、親族の誰かが亡くなったり、高齢化したりすると、成年後見人を依頼されたり、遺言執行人をさせられたり、介護するようになったり、急速に高齢者に関連する事柄を依頼されるようになった。
先日も母の妹がなくなり、遺言がないために法定相続の手続きをすることになった。すると、叔父から「全部頼むよ。」と言われてしまい。税理士や弁護士の先生の事務所に行き、遺産総額の算出や諸手続きを依頼すると共に、相続人のところを挨拶して回った。
結果は、高齢者の人々は、全員相続放棄であるのに対して、働き盛りの40代の男性2人の代襲相続人は、相続するとして受け取った。
お会いした人の中には、祖父とお妾さんとの間の生まれた方で、過去に3回しかお会いしたことがない方などもあった。この方は、「ハローワークに行って仕事を探すも65才を超えると仕事がないよね。」「しょうがなくて運転手の配送の仕事をしているよ。」「だから、家賃の安い都営住宅を申し込んでいて、入れるようになったら、もう一回引越しするんだ。」とのことだった。
その他には生活に不自由されていないけれども、年金暮らしの85才のご主人と奥様という方など、いろいろだったけれども、高齢者に共通しているのは、①長年の寝たきりの叔母を面倒見てくれたことへの感謝の念。②年金暮らしは大変だよ。という思いやり。③受け取れないよ。という義の意識。
温かい心を感じた。叔父や叔母の兄弟世代は、77万円強という金額は、生活の足しになる、空調機が壊れれば入れ替えできるし、何かの入院などを考えれば有り難い金額であるはずである。しかし、感謝の念だったり、思いやりだったり、義や仁だったり、筋が通っていて温かいと叔父は実感したようだ。

その点、働き盛りの40代の甥のふたりは、代襲相続人としてであり、1人当たり25万円強しかないのに受け取った。当然の権利だから、とやかく言うつもりもないが、こんなことを書いているぐらいだから、ふたりに対して期待の方が大きかったのかも知れない。少なくとも、叔父は腹を立てていたようだ。働き盛りがねぇー。年金暮らしからねぇー。権利だからねぇー。とため息交じりに言っていたのが印象的だった。