弊社のある従業員の父親が、地方の離島で一人暮らしをしていた。この父親、難聴になってきて、補聴器を装着したいが、その離島の田舎町には専門医もいなければ、補聴器の業者もないことから、東京で働く息子を頼って上京して来られた。

息子は、弊社の業務の関係で時間は不規則であり、そのうえ独身である。父親の生活サイクルとはまったく合わないし、父親の食事の準備など出来ないであろうということから、勤務のある日は、私のうちにいらっしゃい。夕食は私の自宅で、私の家族といっしょにどうぞ、ということになった。

一方、補聴器は耳鼻咽喉科に通院しながら、専門業者によって取り付けられ順調に良くなっている。ただ、聞くところによると、初回からボリュームを大きくすると、頭がガンガンしてしまうことから、定期的に通院しながら、コンピューターで調整し、徐々にレベルを上げていくそうで、4カ月間を要するそうだ。そんなことで、そのお父さんは、ほぼ毎晩のように近くの従業員宅から毎晩歩いて来られ、私も父親氏と共に、夕食をすることがある。

この従業員は、小学校4年生の時に両親の離婚で父親と別れてしまい、38歳になって突然、今回の世話をすることになり、長い間一緒の生活はしていない。父親から教育やしつけについて、受けた記憶がないともいう。

そんな長期間、隔絶していた親子なのに、DNAレベルで驚かされることがちょくちょくあることに気付いた。まず、頑固。父親の頑固が、息子にそのまま移入されている。何しろ頑固者で、良い時と困る時があって、困る時が記憶に残り、本当に困っていた。何とか注意して柔軟性を持たせようかと試みたが、今回の父親との夕食から、諦めが付いた。筋金入りである。
次に、何でも否定して考えることから始まること。「イャ待てよ。」「これは違うね。」などと素直に聞き入れることはなく、否定するところから始まってしまう。だから、仕事をしていても、創造的な発想になかなかなれない。

弊社の社名は、「ねずみ家グループ」ではなく、「株式会社 クレアーレ」というのが正式な登記簿の名称である。英語で言うと、クリエイト(創造する)であり、過去にないものを考えたり、新しい発想で業務を遂行する、などという創造的な企業を目指して命名した。大企業などに勝負できるのは、発想力しかないとかねがね痛感しての命名だった。

しかし、この従業員には、想像力を求めないことにした。親父を見て無理だと痛感した。いい意味での職人根性を持っている。その良い意味でのDNAと受け止めるけれど、決断力がなかったり、否定する部分は、恐ろしいぐらい見ていて、言い方から首の傾げる角度まで一緒である。レストランに連れて行って、メニューを見始めてから、決まるまでに10分は掛かるのである。「イャ待てよ。」の連発では決まらない。「これは違う。」では否定だから決まらない、肯定して決定だけれど、肯定には至らない。
最近は、私も娘を見て、メンチャイご。気持ち悪いぐらい似て来ている。コピーだ。