先日、ある都内の公園に面した大通りを営業車両で走っていると、明らかにホームレスと思われる人々が200人ぐらい並んで座り、前方では男性がマイクで何かを話している様子であった。
車窓からこのような風景を何回も見ているが、このあと炊き出しが行われて、豚汁のようなものを1杯ずつ配給されて食べているのである。

ホームレスを見ると、忘れられない記憶がいつも甦る。ある年末の番組で、ホームレスなどの仕事のない人々の<年越し村>が日比谷公園に開設された。というニュースをみて始まった。
住む場所もない。仕事もない。収入もない。これを聞いて、本当に可哀そうになり、すぐに飛んで行った。

アパートが決まるまで、ビジネスホテルを借りて提供します。初任給は25万円出しましょう。年齢制限(通常は50歳にしている)はありません。として特別な条件を用意して、ひとりでも辛い思いの人を救って差し上げようと意気込んで行ったが、がっかりした。

主催者のユニオンに申し出たら、職業あっせんはできない。法律的に許されていない。「もし良かったら、事務所のドアに募集の張り紙でもしたら、・・。」と言われた。

炊き出しまでして救済している、というのなら、職業紹介を実施すればよいし、法律的に許される業者と提携するとか、ハローワークと連携するなど、本気で斡旋すればよいのに、何をしているのだ。と怒りにも近い感覚を持った。

ところが、実際に張り紙をお願いしたり、チラシを公園で配ってみたが、応募者はゼロだった。初任給25万円、社宅完備、年齢制限なし、学歴不問。弊社の初任給基準より、多少好条件を奮発してみたが、結果は応募者ゼロだった。

補償をもらうとか、炊き出しを食べるとか、精神状態がコジキのようになってしまっているのではなかろうか。生活保護の制度も厚生労働省の多くの予算を拠出してしまっている。消費税の論議の前に不正受給の対象者、精神的なコジキを一掃する努力が必要ではなかろうか。
身体的条件で働けない人は手厚く保護したら良い。しかし、五体満足で働けそうな人々が、炊き出しを受けるために並んでいるのは、貰える物は何でも貰うという、乞食根性のようなものを感じ取ってしまう。

また、これらの人々のことを知っている人々が、炊き出しを続けることもいかがなものかと考えさせられる。相手が弱者という前提があるから難しい。