久しぶりにゲームがあった。弊社の社内用語で、ゲームとは隠れているネズミを捕獲するまでの一連のハンティングの作業を言う。
第1チームのリーダーは、聴覚の聞こえる範囲が人間の範囲より広くて、ネズミ達の会話が聞こえる。先日もあるレストランの厨房内を点検していたところ、「あそこの4ドア冷蔵庫の上で話しをしています。」というのである。すると、他のスタッフが「ゲームの開始ですね。」と言いながらニヤリとして、新人君について来い、と言いながら粘着シートを取りに行った。
戻ってくるまで、リーダーは2匹のネズミを監視し続けている。厨房のその一角は、スタッフの行動を制約してしまうので、粘着シートを敷かないが、その他の周りには逃がしてはならないので、粘着シートを敷いて包囲網を作るわけだ。
そして、スタッフに<モリ>が配られる。突き殺すためだ。粘着シートを敷き終わると、包囲完了です。と声が掛かり、「そろそろやっちゃいますかね。」という声と共に、死闘が繰り広げられる。ネズミも命懸けで逃げ回る。我々も必死に捕まえるか、殺すか。死に物狂いになる。ドーパミンの沸騰する瞬間である。
「行った。行った。そっち行ったぞ。」「右側のコールドテーブルの下です。」「バカバカ、後だ。どこ見てんだ。」・・・
その日の夜が面白い。一緒に居酒屋に行くと、「あん時、もうちょっとで届いたのに、惜しかった。」と言えば、「お前の短足じゃ届くわけがない。」とか、「もう、15センチぐらい、せめて人並みの足の長さだったらね。」などと、短足は本人の責任ではなく、親の責任と遺伝子の問題なのに、こっぱ微塵である。
一方では、「なんで、せっかく捕まえたのに、離したんだ、バカモンが。」と上司が部下を叱り付ければ、「イヤだって、噛まれるかと思って、つい放してしまった。」と言うのである。手袋をしているものの走ってきたネズミを瞬間に握って捕まえのは、そう簡単ではない。動体視力と反射神経がベースにあって、幸運の女神が手伝わないとできないことだから、惜しむ気持ちも分かるけれど、噛まれる恐怖感も理解できる。
なんだかんだと言い合いながら、ネズミが、ネズミだって、ネズミがよぉ、などとネズミという単語が連発しながらの飲み会は、必死にハンティングした後だけに、冗談半分でも面白い会話になる。
弊社でご用命頂いているチェーン店様のお店ではなく、他店の取引のないお店に行くが、ネズミがという単語が飛び交う宴会も、お店にも来店されているお客様にも、ご迷惑であり遠慮すべきかも知れないが、なんせ面白くてやめられない。社員のレジャーの領域だ。