世の中、選挙になって、各党がいろいろと言っているが、どうも原発に関して、短絡的、近視眼的な論争に終始しているように思えてならない。
この文章を書くにあたり、私は決して原発賛成派ではない。しかし、急速に原発をなくすという意見ではない。

福島原発の問題が発生してから、諸外国の日本の原発の技術に関しては、非常に高い評価になっていると思われる。あれだけ大きな地震があっても、そして津波があっても、極めて小さい被害で収まっているという考え方が国際的な専門家の評価であり、日本の技術力や安全性に絶大な信用を与えるだけの出来事だったように思われる。
その論拠として、原発の発注が日本に来ていること。また、ヴェトナムの例など顕著であるが、原発に関する技術者の留学受け入れが6千人に達していること。など、日本の信頼性は間違いなく高まっている。

さて、地球規模で考えた時、チェルノブイリに関しても死者数でさえ、数万人などと発表されながら、実際には19人だったことは、先般のWHOなど6つの国際機関の専門家の派遣で明らかになった。日本を含めて報道のいい加減さ、正しい報道を行わず、世論を間違った方向に導こうとする極論に対して、冷静に考える必要性があると思われる。
チェルノブイリにしても、医療関係の派遣を含めて、日本は大きな役割を果たしている。先般の福島のケースでも、フランスから到着した除線機なども仕様二日目には故障し、修理したのも、より高性能機をたちどころに製作したのもわが国の技術者だった。
このような現実を拾い上げる一方、地球レベルでは原発の新設が後を絶たない。困ったことだ。しかし、これらの新設の原発は、最新鋭の日本の技術で建設しなければ、地球規模で危ないことになるのではなかろうか。
日本だけ原発をなくしても無意味ではなかろうか。被害は地球レベルで発生するからである。よって、わが国は、原発に依存しない経済性に優れた他の発電方法を開発すると共に、高度の原発技術によって、発展途上国をはじめとする原発依存国に対して、技術援助するなど、地球レベルのリーダーシップを発揮するため、技術開発においては、原発も熱心に、脱原発の技術開発は、もっと熱心に両方を技術立国として追求しながら、70年程度をかけて地球規模の脱原発を推進しないことには、実現可能性の低い、理想論で終わってしまいそうな気がしてならない。